2016年 10月 10日
現地時間ですが、2016年9月22日午前0時18分55秒より、33時間27分(23日午前9時45分まで)、ドーハのハマド総合病院に緊急入院いたしました。
病院側の処置に問題があり、最終的に呼吸することができなくなり、意識喪失という結構深刻な事態にまでなりまして(汗)
去年の南米遠征の備忘録もまとまっていませんが、今月バーレーンでU-20ワールドカップ予選があり、「どなたかのお役に立つかも?」ということで、先に載せます。
ちなみに、その時に起きたこと、入院中に仲良くなったフィリピン人看護師とwhatsappでやりとりし、自分に対してどんな処置が行われたのかを彼女が調べうる範囲で可能な限り聞き出し、それをもって帰国後に循環器内科のある2つの病院で診療を受けて推測してもらった結果が、いずれも「(現場を見ていないので断言はできないけれど)医療過誤といえば医療過誤かもね」ということでした。
当事者である私も、体調がみるみる悪化した経緯からして「医療過誤だろ?」とその場で確信していたので、意識がある間に何度も「何か間違った処置したでしょ?」とツッコミを入れ、意識が回復した後も「あの処置が私を殺しかけたんだ」と再三申し入れたのが功を奏したのか、カタールでは普通ならきっちり入院費・治療費を取られるはずのところが(前払いとかいう情報も見かけますが)、無料で退院できちゃいました。
「無料」というとラッキー感がありますが、看護師に英語で遺言託すレベルまで行ったので、全然ラッキーではなく、むしろ「病院行かなければ良かった(涙)」という感じです。
※普通だと15万円〜20万円ほどかかるらしいです。
※海外旅行保険は、クレジットカード付帯のものしか入っていなかったので、取られたとしたらたぶん全額自己負担だったのではないかと…。
ことの発端はこうです。
現地時間の9月21日8時頃、ドバイを経由し合計で約12時間のフライトを経て、ドーハに到着しました。
当然ながらその間は普段よりも水分が摂れていませんし、食事の量も少なく、体も動かせておらず、「エコミノークラス症候群」が隠れているような状態だったかと思われます。
とはいえ、到着時には何ら問題はなく、昼間はホテル内で過ごし、18時すぎにこの旅の目的である「カタール・韓国・セネガル・ウルグアイの4か国対抗戦」を見るために出かけました。
キックオフは20時でしたが、そのころまで、ことのほか気温が下がらず、むしろ湿度は上昇傾向で、「ちょっと蒸し暑いな」と感じながらも、こまめに水は摂るようにしていましたし、トイレだけはクーラーがついていたので、試合中もちょこちょこクーラーにあたりに行っていました。
ところが、風も吹いてきて気温が下がって行くのを感じた21時半すぎころから「涼しくなっているはずなのに、なんだか息苦しい(皮膚呼吸できていない)」と感じ始めて、「これ熱中症?(なったことがないのでわからないもののイメージで)」と思い、急に倒れて面倒を見てくれているウルグアイ人たちに多大な迷惑がかからないよう(小さい迷惑で済むように)、ビニールに入れた氷を分けてもらったり、クーラーの冷気が通り抜ける場所にいさせてもらったりして、23時すぎにホテルに戻るまで(往復の移動もウルグアイの役員さんの車に便乗)、それ以上の悪化もなく、「あとは体冷やして水飲んで飯食って寝ればOK」なところまで復活。
と思いきや、体冷やしても水飲んでも(塩分摂っても)今ひとつ違和感が消えず、「一人旅だし夜中に急変して電話もかけられない状態になったらマズいよなぁ」ということで、「ならば意識がはっきりしていて自力歩行できる間に病院行っておくか」と考えまして、フロントに相談し「普通の外来だと手続きどうしたら良いかわからないし、救急車が良かろう」というハナシになり、救急車でハマド総合病院へ。
念のために車いすで運ばれたものの、脈、血圧、体温を測る限り以上なし。
ただ、長時間のフライトでエコノミークラス症候群のことも心配ではあったので、問診の際、「たぶん熱中症だと思うけど、長時間フライトで水が飲めてなくて、睡眠も不十分だし、運動もできていなかった」という点については猛アピールしました。
自分としては、熱中症なりエコノミークラス症候群の疑いがある時は、脈などと一緒に最初に血液検査があって、不足している成分があればそれを補充する点滴が打たれて、数時間後には回復して帰れる流れなのかなと予想していましたが、そこでは血液検査はなく…。
「ナトリウムとかアルカリイオンとか何か足らないと思うんですけど、調べてもらえないんですかね?(^_^;)」と心の中で思いながら、仕方なく言われるがままに自然回復を待つことに…。
もとの症状が軽度だったこともあり、1時間半ほどすると「帰っても大丈夫かな」というレベルまで復調。
「もうすぐ帰れそう」と看護師に告げると、医師から血液検査の指示が出ました。
「え?今かよ?(最初にやってよ)」というこっちの思いなどまるで察してもらえる様子もなく、日本と同じように3本ほどに分けて血液が採取されました。
日本だとここで「ご気分悪くありませんかー?」と聞かれたりするので、なんとなく「血を抜かれると具合悪くなっちゃう人いるんだろうなー」ということは想像していましたが、自分は一度も悪くなったことはなく、この時も特に問題なく採取終了。
ただ、この後が日本と違っていて、日本なら止血の絆創膏が貼られて終了となるところ、カタールでは丸いカテーテルがぶちこまれて何やら透明な液体が2分に1回ペースくらいの間隔で5回ほど流し込まれました。
処置が終わり、「いざ帰ろう」としたら、なぜか体調が逆戻り。
というか、むしろさっきまではなかったフラつきが出てきてしまい、「ごめん、また悪くなっちゃったから、帰れない」と伝えると、感じの悪い看護師が「面倒くせーな」風に「じゃあまた横になってて」と。
そして今度は何かの点滴が打たれました。
後日、フィリピン人の看護師に何が打たれたのか調べてくれと頼んだところ、「自分が見られる書類ではカルシウムとマグネシウムってことになってる」と。
ちなみに病院では医者が代わる代わるやってきて、この時点で確か4人目の医者でした。
そして、「ひとつのカルテをみんなでシェアする」というのではなく、「一人ひとりの医者が各患者に問診したり、計測したデータを書き込んで持っている」というシステムのようで、診に来る医者の数だけ、同じ問診を受け同じ説明をすることになります。
ゆえに、いかに意識をしっかり持ち続け、できるだけ英語で正確に自分の状況を、根気強く伝え続けられるかという生命力も重要になってきます(笑)
話を戻しますが、カルシウムだかマグネシウムだかの点滴を打たれた後、ふたたび「ちょっと良くなってきたかも?」と思えてきました。
そしてまた、「もうすぐ帰れそう」と看護師に伝えると、またまた血液検査がやってきました。
どうやら退院するのに血液検査が必須のようです。
貧血&低血圧人間なので「数時間で二度も血液取るなよ!」と思いましたが、再度フルに3本取られました。
取られた時は特段体調に変わりはありませんでしたが、血液採取直後にまたしてもカテーテルで透明な液体を注入された数秒後から「何かおかしい」と感じはじめ、
「日本と違っているのはこのカテーテルだけ」
「止血の代わりにやっているってことはもしかして血を凝固させる何かなの?」
「だとしたらエコノミークラス症候群かもな体にはダメなやつじゃん?」
「このままだと殺される!」となり、ソッコー看護師を呼び「今すぐ外せ」と要求。
言われた看護師も「なんで外せって言ってるの?」という感じで、「これは決まりなの。大事な注射だから」と説得してきたのですが、「あなたが外さないなら自分で外すよ!このままだと死んじゃうから」と言うと慌てて医者に確認しに行き、何とか外してもらうことができるも時すでに遅く…。
鎖骨から下が完全に硬直し、肋骨もしめつけられるような感じで、呼吸困難に。
イメージ的には喉ぼとけから口の間でしか呼吸ができていない感覚でした。
「こんな浅い呼吸じゃ脳に酸素行かなくて脳障害残っちゃうかも」と思い、可能な限り深呼吸を心がけましたが、抵抗むなしく酸素不足が進み頭痛も悪化。
一応、酸素マスクはしてくれていたのですが、一向に回復に向かわなかったせいか、急にただのビニール袋をあててきました。
日本では最近「危険だから(実は間違っている対処だから)やめましょう」とか言われている「過呼吸の時の対処」です。
それでも楽になるならウェルカムですが、一層苦しくなっただけで「マジ殺す気か!」と思い、かろうじてわずかに動く頭を横に振り「やめてくれ」と必死にアピール。
そうこうするうち、恐れていた血栓と思われるパチンコ玉のような固まりが体の中を走り始めました。
特に左足の土踏まずを通過する時は硬直して麻痺しているにも関わらず、今までの人生で感じたことのないレベルの激痛が発生!
「これがヘンなところにヒットした瞬間、人生が終わるんだなー」と思ったら、「今は少し苦しいけど、死ぬ時は楽に死ねるんだな」と妙な安心感がありました(笑)
ほぼ吐息しか出ない状況でしたが、「しゃべれるうちに…」と思い、看護師に英語で遺言を託す作業を開始。
「そんなこと言わないで。大丈夫よ。あなたの宗教は?」と聞いてくる看護師に「無宗教」と答えて、絶句させてしまいました。
せっかく励まそうとしてくれたのに、無宗教って言われたら、励ましようがないですよね(^_^;)
面倒な患者でごめんね、と心の中でお詫びしましたw
遺言を託したとはいえ、弟に遺体を引き取りに来てもらうのもしのびないし、今後生じるであろう両親の介護を丸投げするのも申し訳ないし、生きてても脳に障害残ったらもっと申し訳ないし…ということで、何もなければこれで死んでも良いかなという状況でしたが、「手足に障害が残ったとしても何とか脳障害だけはなく帰ろう」と決心し、最後の抵抗。
しかしながら、この後、呼吸がすーーーーっと止まるのを感じながら意識がなくなり、その後のことは不明です(笑)
意識がなくなる直前、医者や看護師が8人ほどベッドを取り囲んでいるのを感じていましたが、呼吸困難が始まってすぐにこちらが「アンタたちが何かするとどんどん悪くなっていくから、もう何もしないで!」と言ってしまったことと、男性の医者が女性患者の体に触れることは基本NGのようで、逆に言うと処置を行うためにこっちの意識がなくなるのを待っていたのかもしれません(^_^;)
最後に時刻を意識できたのが朝4時30分頃で、目がさめたのが午前11時30分頃だったので、たぶん7時くらいまで苦しんでそこら辺から意識がなかったのかなーと思います。
そのあともカルシウムとマグネシウムの点滴などがありながら、カレーとフライの入った病院メシが出てきたりとか、いろいろありつつ、「夜涼しくなったら帰りたい(救急病棟はうるさくて寝られないし)」と言ったら「大丈夫そうなら帰っても良いけど、もう一泊分、ベッドは手配したから無理しないでね」と。

でもこちらとしては何としてもホテルに帰りたかったので(シャワー浴びて着替えてゆっくり寝たかったので)、「帰る」と言い張っていたのに、なんと退院するために必要な医者のサインがされておらず、もう一泊する羽目に…。
ハマド総合病院では日本人女性の患者は初物らしく、そのころには代わる代わる看護師が様子を見にきました(笑)
「仕事で来たのか?」と判を押したように聞いてくるので、「休暇」と答えつつ「3泊のうちの2泊が病院なんだけどー」と言ったらもうバカ受けでどっかんどっかんですよw
Enjoy Hospital!
その中の一人が仲良くなったフィリピン人看護師です。
台風とか地震とかdisasterネタはフィリピンと日本は共通するので、話も盛り上がり…。
「台風くるとフィリピンはパッキャオだよね」みたいな(笑)
でも、英語力が足らずに詳細は聞き取れなかったのですが、彼女は「パッキャオの試合は借金になるから私はパッキャオ好きじゃない」みたいなこと言ってました。
そんなこんなで回復し、2泊した後の朝、いよいよ退院へ。
「まずは薬局に行ってビタミン剤を受け取って、そのあと救急に立ち寄って」と書類を渡されましたが、そこには金額の記載はなく…。
「2泊もさせられたしいくらかかるのかなー(金ぼったくるために2泊させただろ!)」と思いながら、退院手続きをアテンドしてくれる係りの人に車いすに乗せられて薬局へ。
薬を受け取り、そこで薬代として1,500円を払わされました。
そして救急の入り口のところで「僕が行ってくるから待ってて」とアテンドさんに言われて待つこと2分。
「このまま帰って良いって。タクシー乗り場に行く?」と。
「支払い、ないの?」と聞くと、「そうみたい」という回答。
アテンドさんも早く帰ってもらって次の仕事に移りたいようだったので、それ以上は追及せずにタクシー乗り場へ。
「パスポートのコピーも取らせてるし、ホテルも帰国便も伝えてあるし、なんか請求があれば後から言ってくるだろ」と思っていましたが、10月9日時点で何ら請求は来ていません。
散々、「あれだけ回復傾向だったのに、あんな深刻な事態になったのはカテーテルのせいだろ!?(医療過誤じゃないのか?)」とツッコミを入れていたので、少なからず向こうもこっちが悪化の原因を察していることをわかってたのではないかと。
で、帰国して落ち着いてから、もう一度経緯を洗い出し、「カテーテルで注入されていた液体が何だったのか」「点滴が何だったのか」をフィリピン人看護師に調べてもらいました。
その結果、カテーテルで入れていたのは生理食塩水で、点滴はカルシウムとマグネシウムだけだったとのこと。
「生理食塩水で呼吸停止まで行くか?」という疑いが晴れなかったことと、入院中に数人の医者から特に手の指の硬直について「帰国したら病院に行け」と強く言われたこともあり、血栓系の疑問が晴れそうな循環器内科を受診。
2軒受診しましたが、どちらも同じ見解でした。
「確かにカテーテルは“余計な処置”に思えるけど、悪かったのは生理食塩水ではなく、カテーテルの入れ方だったのではないか」と。
日本人医師から見ると、血液検査の後に「なんでカテーテル入れる必要があるの?」という感じだそうですが、百歩譲って入れるとしても、「本来なら注意深く入れないといけないところを、おそらく雑に入れて血管や神経を刺激してしまい、それがショック状態を引き起こしたのであろう」とのこと。
言われてみれば、カテーテルを入れる時、かなりグリグリされました。特に2回目はひどかった!
とても納得感のある推測でした。(2軒とも「実際に現場を見ていないから断言はできませんよ」という前置きつきですが。)


後から調べてみると、カタールの医療技術はハマド総合病院のような大きな病院であっても高いとは言い切れないようです。
(海外からの出稼ぎ看護師も多く、技術のレベルにばらつきがあるようです。)
というわけで、カタールで(中東で)もし病院に行くようなことがある場合には、最低限の英語力を備えている方が安全なのと、意識がはっきりしていて余裕があれば「今からどんな処置をするのか」を一つずつ事前に聞くのが良いかもしれないです。(「日本ではそんなことしねーよ」みたいのがあったら、自己責任にはなりますが、やめてもらうとか、投薬を少なめに試しながらにしてもらうとか、申し出るのはアリなんじゃないかと…。)
ちなみに、回復後に3回の血液検査を受けましたが、いずれも「カテーテルなしで日本式に絆創膏で止血」に対応が変わりました。
やはり、自分たちが事態を深刻にしてしまった自覚があるってことですかね(笑)
それ以前に長時間フライトの際は、水分摂るのはなんとなく気がひけますが、隣の人を起こしてでもトイレ行ってやるという勢いでまずはガッツリ水分を摂って、極力機内を徘徊する(特にふくらはぎを運動させる)よう心がけていただくことをオススメします。
今まで通路側を好んで予約していた時期もあったのですが、この10年くらいは「睡眠重視」でずっと窓側派だったので、今回のことで改めようと思っている次第です。
現場からは以上です!(゚∀゚)
病院側の処置に問題があり、最終的に呼吸することができなくなり、意識喪失という結構深刻な事態にまでなりまして(汗)
去年の南米遠征の備忘録もまとまっていませんが、今月バーレーンでU-20ワールドカップ予選があり、「どなたかのお役に立つかも?」ということで、先に載せます。
ちなみに、その時に起きたこと、入院中に仲良くなったフィリピン人看護師とwhatsappでやりとりし、自分に対してどんな処置が行われたのかを彼女が調べうる範囲で可能な限り聞き出し、それをもって帰国後に循環器内科のある2つの病院で診療を受けて推測してもらった結果が、いずれも「(現場を見ていないので断言はできないけれど)医療過誤といえば医療過誤かもね」ということでした。
当事者である私も、体調がみるみる悪化した経緯からして「医療過誤だろ?」とその場で確信していたので、意識がある間に何度も「何か間違った処置したでしょ?」とツッコミを入れ、意識が回復した後も「あの処置が私を殺しかけたんだ」と再三申し入れたのが功を奏したのか、カタールでは普通ならきっちり入院費・治療費を取られるはずのところが(前払いとかいう情報も見かけますが)、無料で退院できちゃいました。
「無料」というとラッキー感がありますが、看護師に英語で遺言託すレベルまで行ったので、全然ラッキーではなく、むしろ「病院行かなければ良かった(涙)」という感じです。
※普通だと15万円〜20万円ほどかかるらしいです。
※海外旅行保険は、クレジットカード付帯のものしか入っていなかったので、取られたとしたらたぶん全額自己負担だったのではないかと…。
ことの発端はこうです。
現地時間の9月21日8時頃、ドバイを経由し合計で約12時間のフライトを経て、ドーハに到着しました。
当然ながらその間は普段よりも水分が摂れていませんし、食事の量も少なく、体も動かせておらず、「エコミノークラス症候群」が隠れているような状態だったかと思われます。
とはいえ、到着時には何ら問題はなく、昼間はホテル内で過ごし、18時すぎにこの旅の目的である「カタール・韓国・セネガル・ウルグアイの4か国対抗戦」を見るために出かけました。
キックオフは20時でしたが、そのころまで、ことのほか気温が下がらず、むしろ湿度は上昇傾向で、「ちょっと蒸し暑いな」と感じながらも、こまめに水は摂るようにしていましたし、トイレだけはクーラーがついていたので、試合中もちょこちょこクーラーにあたりに行っていました。
ところが、風も吹いてきて気温が下がって行くのを感じた21時半すぎころから「涼しくなっているはずなのに、なんだか息苦しい(皮膚呼吸できていない)」と感じ始めて、「これ熱中症?(なったことがないのでわからないもののイメージで)」と思い、急に倒れて面倒を見てくれているウルグアイ人たちに多大な迷惑がかからないよう(小さい迷惑で済むように)、ビニールに入れた氷を分けてもらったり、クーラーの冷気が通り抜ける場所にいさせてもらったりして、23時すぎにホテルに戻るまで(往復の移動もウルグアイの役員さんの車に便乗)、それ以上の悪化もなく、「あとは体冷やして水飲んで飯食って寝ればOK」なところまで復活。
と思いきや、体冷やしても水飲んでも(塩分摂っても)今ひとつ違和感が消えず、「一人旅だし夜中に急変して電話もかけられない状態になったらマズいよなぁ」ということで、「ならば意識がはっきりしていて自力歩行できる間に病院行っておくか」と考えまして、フロントに相談し「普通の外来だと手続きどうしたら良いかわからないし、救急車が良かろう」というハナシになり、救急車でハマド総合病院へ。
念のために車いすで運ばれたものの、脈、血圧、体温を測る限り以上なし。
ただ、長時間のフライトでエコノミークラス症候群のことも心配ではあったので、問診の際、「たぶん熱中症だと思うけど、長時間フライトで水が飲めてなくて、睡眠も不十分だし、運動もできていなかった」という点については猛アピールしました。
自分としては、熱中症なりエコノミークラス症候群の疑いがある時は、脈などと一緒に最初に血液検査があって、不足している成分があればそれを補充する点滴が打たれて、数時間後には回復して帰れる流れなのかなと予想していましたが、そこでは血液検査はなく…。
「ナトリウムとかアルカリイオンとか何か足らないと思うんですけど、調べてもらえないんですかね?(^_^;)」と心の中で思いながら、仕方なく言われるがままに自然回復を待つことに…。
もとの症状が軽度だったこともあり、1時間半ほどすると「帰っても大丈夫かな」というレベルまで復調。
「もうすぐ帰れそう」と看護師に告げると、医師から血液検査の指示が出ました。
「え?今かよ?(最初にやってよ)」というこっちの思いなどまるで察してもらえる様子もなく、日本と同じように3本ほどに分けて血液が採取されました。
日本だとここで「ご気分悪くありませんかー?」と聞かれたりするので、なんとなく「血を抜かれると具合悪くなっちゃう人いるんだろうなー」ということは想像していましたが、自分は一度も悪くなったことはなく、この時も特に問題なく採取終了。
ただ、この後が日本と違っていて、日本なら止血の絆創膏が貼られて終了となるところ、カタールでは丸いカテーテルがぶちこまれて何やら透明な液体が2分に1回ペースくらいの間隔で5回ほど流し込まれました。
処置が終わり、「いざ帰ろう」としたら、なぜか体調が逆戻り。
というか、むしろさっきまではなかったフラつきが出てきてしまい、「ごめん、また悪くなっちゃったから、帰れない」と伝えると、感じの悪い看護師が「面倒くせーな」風に「じゃあまた横になってて」と。
そして今度は何かの点滴が打たれました。
後日、フィリピン人の看護師に何が打たれたのか調べてくれと頼んだところ、「自分が見られる書類ではカルシウムとマグネシウムってことになってる」と。
ちなみに病院では医者が代わる代わるやってきて、この時点で確か4人目の医者でした。
そして、「ひとつのカルテをみんなでシェアする」というのではなく、「一人ひとりの医者が各患者に問診したり、計測したデータを書き込んで持っている」というシステムのようで、診に来る医者の数だけ、同じ問診を受け同じ説明をすることになります。
ゆえに、いかに意識をしっかり持ち続け、できるだけ英語で正確に自分の状況を、根気強く伝え続けられるかという生命力も重要になってきます(笑)
話を戻しますが、カルシウムだかマグネシウムだかの点滴を打たれた後、ふたたび「ちょっと良くなってきたかも?」と思えてきました。
そしてまた、「もうすぐ帰れそう」と看護師に伝えると、またまた血液検査がやってきました。
どうやら退院するのに血液検査が必須のようです。
貧血&低血圧人間なので「数時間で二度も血液取るなよ!」と思いましたが、再度フルに3本取られました。
取られた時は特段体調に変わりはありませんでしたが、血液採取直後にまたしてもカテーテルで透明な液体を注入された数秒後から「何かおかしい」と感じはじめ、
「日本と違っているのはこのカテーテルだけ」
「止血の代わりにやっているってことはもしかして血を凝固させる何かなの?」
「だとしたらエコノミークラス症候群かもな体にはダメなやつじゃん?」
「このままだと殺される!」となり、ソッコー看護師を呼び「今すぐ外せ」と要求。
言われた看護師も「なんで外せって言ってるの?」という感じで、「これは決まりなの。大事な注射だから」と説得してきたのですが、「あなたが外さないなら自分で外すよ!このままだと死んじゃうから」と言うと慌てて医者に確認しに行き、何とか外してもらうことができるも時すでに遅く…。
鎖骨から下が完全に硬直し、肋骨もしめつけられるような感じで、呼吸困難に。
イメージ的には喉ぼとけから口の間でしか呼吸ができていない感覚でした。
「こんな浅い呼吸じゃ脳に酸素行かなくて脳障害残っちゃうかも」と思い、可能な限り深呼吸を心がけましたが、抵抗むなしく酸素不足が進み頭痛も悪化。
一応、酸素マスクはしてくれていたのですが、一向に回復に向かわなかったせいか、急にただのビニール袋をあててきました。
日本では最近「危険だから(実は間違っている対処だから)やめましょう」とか言われている「過呼吸の時の対処」です。
それでも楽になるならウェルカムですが、一層苦しくなっただけで「マジ殺す気か!」と思い、かろうじてわずかに動く頭を横に振り「やめてくれ」と必死にアピール。
そうこうするうち、恐れていた血栓と思われるパチンコ玉のような固まりが体の中を走り始めました。
特に左足の土踏まずを通過する時は硬直して麻痺しているにも関わらず、今までの人生で感じたことのないレベルの激痛が発生!
「これがヘンなところにヒットした瞬間、人生が終わるんだなー」と思ったら、「今は少し苦しいけど、死ぬ時は楽に死ねるんだな」と妙な安心感がありました(笑)
ほぼ吐息しか出ない状況でしたが、「しゃべれるうちに…」と思い、看護師に英語で遺言を託す作業を開始。
「そんなこと言わないで。大丈夫よ。あなたの宗教は?」と聞いてくる看護師に「無宗教」と答えて、絶句させてしまいました。
せっかく励まそうとしてくれたのに、無宗教って言われたら、励ましようがないですよね(^_^;)
面倒な患者でごめんね、と心の中でお詫びしましたw
遺言を託したとはいえ、弟に遺体を引き取りに来てもらうのもしのびないし、今後生じるであろう両親の介護を丸投げするのも申し訳ないし、生きてても脳に障害残ったらもっと申し訳ないし…ということで、何もなければこれで死んでも良いかなという状況でしたが、「手足に障害が残ったとしても何とか脳障害だけはなく帰ろう」と決心し、最後の抵抗。
しかしながら、この後、呼吸がすーーーーっと止まるのを感じながら意識がなくなり、その後のことは不明です(笑)
意識がなくなる直前、医者や看護師が8人ほどベッドを取り囲んでいるのを感じていましたが、呼吸困難が始まってすぐにこちらが「アンタたちが何かするとどんどん悪くなっていくから、もう何もしないで!」と言ってしまったことと、男性の医者が女性患者の体に触れることは基本NGのようで、逆に言うと処置を行うためにこっちの意識がなくなるのを待っていたのかもしれません(^_^;)
最後に時刻を意識できたのが朝4時30分頃で、目がさめたのが午前11時30分頃だったので、たぶん7時くらいまで苦しんでそこら辺から意識がなかったのかなーと思います。
そのあともカルシウムとマグネシウムの点滴などがありながら、カレーとフライの入った病院メシが出てきたりとか、いろいろありつつ、「夜涼しくなったら帰りたい(救急病棟はうるさくて寝られないし)」と言ったら「大丈夫そうなら帰っても良いけど、もう一泊分、ベッドは手配したから無理しないでね」と。

でもこちらとしては何としてもホテルに帰りたかったので(シャワー浴びて着替えてゆっくり寝たかったので)、「帰る」と言い張っていたのに、なんと退院するために必要な医者のサインがされておらず、もう一泊する羽目に…。
ハマド総合病院では日本人女性の患者は初物らしく、そのころには代わる代わる看護師が様子を見にきました(笑)
「仕事で来たのか?」と判を押したように聞いてくるので、「休暇」と答えつつ「3泊のうちの2泊が病院なんだけどー」と言ったらもうバカ受けでどっかんどっかんですよw
Enjoy Hospital!
その中の一人が仲良くなったフィリピン人看護師です。
台風とか地震とかdisasterネタはフィリピンと日本は共通するので、話も盛り上がり…。
「台風くるとフィリピンはパッキャオだよね」みたいな(笑)
でも、英語力が足らずに詳細は聞き取れなかったのですが、彼女は「パッキャオの試合は借金になるから私はパッキャオ好きじゃない」みたいなこと言ってました。
そんなこんなで回復し、2泊した後の朝、いよいよ退院へ。
「まずは薬局に行ってビタミン剤を受け取って、そのあと救急に立ち寄って」と書類を渡されましたが、そこには金額の記載はなく…。
「2泊もさせられたしいくらかかるのかなー(金ぼったくるために2泊させただろ!)」と思いながら、退院手続きをアテンドしてくれる係りの人に車いすに乗せられて薬局へ。
薬を受け取り、そこで薬代として1,500円を払わされました。
そして救急の入り口のところで「僕が行ってくるから待ってて」とアテンドさんに言われて待つこと2分。
「このまま帰って良いって。タクシー乗り場に行く?」と。
「支払い、ないの?」と聞くと、「そうみたい」という回答。
アテンドさんも早く帰ってもらって次の仕事に移りたいようだったので、それ以上は追及せずにタクシー乗り場へ。
「パスポートのコピーも取らせてるし、ホテルも帰国便も伝えてあるし、なんか請求があれば後から言ってくるだろ」と思っていましたが、10月9日時点で何ら請求は来ていません。
散々、「あれだけ回復傾向だったのに、あんな深刻な事態になったのはカテーテルのせいだろ!?(医療過誤じゃないのか?)」とツッコミを入れていたので、少なからず向こうもこっちが悪化の原因を察していることをわかってたのではないかと。
で、帰国して落ち着いてから、もう一度経緯を洗い出し、「カテーテルで注入されていた液体が何だったのか」「点滴が何だったのか」をフィリピン人看護師に調べてもらいました。
その結果、カテーテルで入れていたのは生理食塩水で、点滴はカルシウムとマグネシウムだけだったとのこと。
「生理食塩水で呼吸停止まで行くか?」という疑いが晴れなかったことと、入院中に数人の医者から特に手の指の硬直について「帰国したら病院に行け」と強く言われたこともあり、血栓系の疑問が晴れそうな循環器内科を受診。
2軒受診しましたが、どちらも同じ見解でした。
「確かにカテーテルは“余計な処置”に思えるけど、悪かったのは生理食塩水ではなく、カテーテルの入れ方だったのではないか」と。
日本人医師から見ると、血液検査の後に「なんでカテーテル入れる必要があるの?」という感じだそうですが、百歩譲って入れるとしても、「本来なら注意深く入れないといけないところを、おそらく雑に入れて血管や神経を刺激してしまい、それがショック状態を引き起こしたのであろう」とのこと。
言われてみれば、カテーテルを入れる時、かなりグリグリされました。特に2回目はひどかった!
とても納得感のある推測でした。(2軒とも「実際に現場を見ていないから断言はできませんよ」という前置きつきですが。)


後から調べてみると、カタールの医療技術はハマド総合病院のような大きな病院であっても高いとは言い切れないようです。
(海外からの出稼ぎ看護師も多く、技術のレベルにばらつきがあるようです。)
というわけで、カタールで(中東で)もし病院に行くようなことがある場合には、最低限の英語力を備えている方が安全なのと、意識がはっきりしていて余裕があれば「今からどんな処置をするのか」を一つずつ事前に聞くのが良いかもしれないです。(「日本ではそんなことしねーよ」みたいのがあったら、自己責任にはなりますが、やめてもらうとか、投薬を少なめに試しながらにしてもらうとか、申し出るのはアリなんじゃないかと…。)
ちなみに、回復後に3回の血液検査を受けましたが、いずれも「カテーテルなしで日本式に絆創膏で止血」に対応が変わりました。
やはり、自分たちが事態を深刻にしてしまった自覚があるってことですかね(笑)
それ以前に長時間フライトの際は、水分摂るのはなんとなく気がひけますが、隣の人を起こしてでもトイレ行ってやるという勢いでまずはガッツリ水分を摂って、極力機内を徘徊する(特にふくらはぎを運動させる)よう心がけていただくことをオススメします。
今まで通路側を好んで予約していた時期もあったのですが、この10年くらいは「睡眠重視」でずっと窓側派だったので、今回のことで改めようと思っている次第です。
現場からは以上です!(゚∀゚)
#
by cancha
| 2016-10-10 01:05
| 個人旅行術